熊本地方裁判所玉名支部 昭和42年(ワ)82号 判決 1971年12月28日
原告
田口ヨシエ
被告
赤木正久
主文
被告は原告に対し、金四三万八、六四七円およびこれに対する昭和四二年一二月一六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを一〇分してその四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金五九万九、五七七円およびこれに対する昭和四二年一二月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決並びに保証を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として
一 原告は昭和四二年六月一六日午後六時二〇分頃自宅近傍の井戸に魚を洗いに行くため平素人車の往来が余りない玉名郡南関町小春部落を通る光善寺係道路を通行中、折柄原告の後方より何らの警告もなく進行して来た被告運転の原動機付二種自転車(八〇CC、南関町〇八八五号、以下単車と略称する)に接触され、その衝撃によつて右路上に転倒し左大腿転子間骨折右下腿及左肘擦過傷の傷害を受け、翌一七日福岡県大牟田市所在の永田病院に入院したが、同日入院治療五ケ月を要する旨診断された。
二 右のような場合単車の運転者としては、その進路の前方左右を注視し、歩行者の動静に気を配り、あるいは警笛を吹鳴して注意を促し、かつ十分なる間隔を置いて通過するようにつとめる等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、これを怠り警笛も吹鳴せず、十分なる間隔も置かずして漫然進行したため原告に接触したものであるから、右事故の発生はもつぱら被告の過失に基因するものというべく、また右単車は被告の保有に係り、かつ右事故当時同人のため運行の用に供していたものであるから、同人は不法行為者として、また自動車損害賠償保障法第三条所定の運行供用者として右事故に因り原告が被むつた損害を賠償すべき義務があるものである。
三 しかるに、右事故発生時被告は現場を行き過ぎてから車を停め引返して原告を抱き起したものであり、右状況を見た者はいたが、接触の瞬間を目撃した者がおらなかつたため、被告は事故後一旦は該接触の事実を認めたが、その後これを強く否認するようになり、送検後ようやくこれを認めて同年九月一日略式命令により罰金四万円に処せられ、同月一七日右刑が確定した。
しかして、右事故時における原告の受傷程度は入院治療五ケ月を要する旨の診断であつたが、その後入院治療に一八一日間、通院治療に一九〇日間を要し、なお同四三年六月二一日現在で労災補償七級程度の後遺症を残している。
四 しかるところ、同年六月二七日、訴外赤木正俊同永松富造同田口茂三名の仲裁により原告を代理する同人の五男訴外田口七郎と被告との間に右事故に関し示談交渉がなされた結果、原告の五ケ月間の入院治療費及び附添料を被告の負担とし、その他の費用は一切原告の負担とする旨の文言を内容とする和解契約が成立した。
五 ところで、右和解契約が締結されたのは、事故後間もなくで、原告において自己の全損害を正確に把握できず、しかも被告はその責任を頑強に否認しておつた際であつたので、右示談は当時の主治医永田恒久作成の同月一七日(原告入院当日)付診断書に記載されてあつた「全治五ケ月間の治療を要する」旨の受傷程度見込みに基づきなされたものである。
このことは、前記示談書中に「但し診断書による期間五ケ月間」の記載があるところからも明らかである。
したがつて、右示談書中の「五ケ月間の入院治療及び附添料は被告が負担する」「その他の費用は原告が一切負担する」旨の記載は、いずれも物的損害の負担区分を定めたに止まり精神的損害は右示談の対象に入つておらなかつたものである。
また右五ケ月を超える入院治療等は当時予想できず、示談はもつぱら原告の損害が五ケ月の入院治療に止まるものとし、これのみを対象としてなされたものであるから、右期間を超える入院治療等の損害及びその後に発生した後遺症(七級程度)についての損害には信義則並びに衡平の原則に照らし右示談の効力は及ばないものというべきである(最高判昭四三・三・一五民集二二・三・五八七参照)。
六 原告は、前記事故に因りつぎの損害を被むつた。すなわち
(1) 自昭和四二年六月一七日至同年一一月一五日永田病院入院料
金三六万〇、五六六円
(2) 自昭和四二年一一月一六日至同年一二月一四日同病院入院料並びに自同年一二月一五日至同四三年二月一〇日同病院通院処置料
金九万九、二八八円
(3) 自同四三年二月一一日至同月二一日同病院診療費(診断書料を含む)
金一万一、八四〇円
(4) 同病院診断書料
金九〇〇円
(5) 谷崎病院処置料
金二、九〇〇円
(6) 菊水町立病院処置料(診断書料を含む)
金二、四三〇円
(7) 自昭和四二年七月二八日至同年一二月一四日永田病院入院間附添看護料
金一〇万五、九二三円(因みに同年六月二八日から同年七月二七日迄の附添看護料は被告が直接支払つているので損害に計上しない)
(8) 自同年六月一七日至同月二七日永田病院入院間原告五男田口七郎妻田口ヤス子の附添看護料相当の出費
金七、七〇〇円
(9) 弁護士費用
金六万円
(10) 精神的苦痛による損害(慰藉料)
金一〇〇万円(およそ慰藉料は、原告の入院期間、通院期間、後遺症の三つを要素として合理的に算定されるべきものである――判例時報五八五号、判例タイムズ二五七号掲載の東京地裁民事交通部設定「慰藉料算定基準」等参照)
合計 金一六五万一、五四七円
七 しかるところ、原告は
(1) 昭和四二年六月二四日頃被告より見舞金として
金一万円
(2) 同年七月三一日自動車損害賠償保障法による保険金(治療費)として
金一〇万円
(3) 同四三年一月九日同保険金(治療費)として
金四〇万円
(4) 同四四年三月一八日同保険金(後遺障害補償費)として
金五〇万円
の支払いを受けた。
しかして、右(2)(3)二ロの各自賠責保険金合計五〇万円の内訳は、前記永田病院における自昭和四二年六月一七日至同年一一月一五日入院費三六万〇五六六円(原告の昭和四六年一〇月八日付準備書面では右金額は三六万〇、五六五円と記載されているが、同年三月三〇日付同準備書面や甲第七号証の記載と対照し、誤記であると認められる)、同病院入院中の附添婦代金八万八、六三八円その他領収証のある諸費用で、通常計上される入院一日につき一、〇〇〇円の割合による慰藉料は右保険金額中に計上される余地がなかつたものである。
また、同四二年八月一日以降の事故による後遺障害補償費についてはその内訳として慰藉料と得べかりし利益の喪失による損害の両者が表示されることになつたが、原告にかかる事故は同年六月一六日であるため、右(4)の後遺障害補償費はみぎ内訳の表示がなかつたものである。
八 そこで、原告は前項で受けた金員を第六項掲記の各損害に順次充当して控除し残余の金六四万一、五四七円について被告に対し、これが支払を求める権利を有するものであるところ、そのうち金五九万九、五七七円について本訴をもつてその支払を請求するものである。
旨述べ、また原告の以上の主張に反する被告の主張はすべて否認する旨述べた。〔証拠関係略〕
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決を求め、答弁および主張として
一 原告請求原因第一項の事実中、被告が原告主張の日時場所において同主張の単車を運転進行したこと、その際原告が右路上に転倒し左大腿転子間骨折右下腿及び左肘擦過傷の傷害を受け翌一七日大牟田市永田病院に入院し入院治療五ケ月を要する負傷と診断されたことは認めるが、その余の事実は否認する。
被告の単車は原告の右側すれすれのところを通過したが、被告の身体には触れていない。
このように、すれすれに通つたのが原告転倒の一原因となつたとも思われるが、同人が七九才の老令であり、かつ当時該道路に砂利が敷いてあつて足場が悪かつたことも原因していると思われる。
このことは、原告が右事故直後往診した松間医師に「よろよろして転んだ」と述べておつたことからも明らかである。
ところが、原告は翌日になつて親族等の入知恵もあつて、前言を翻いし、「一人では転ばなかつた」と恰かも被告が通過時その単車を原告の身体に接触させ転倒させたかのごとく言い出すにいたつたものである。
二 同第二項の事実は該単車が被告の保有に係るものであるとの点を除き否認する。
むしろ、被告は当時原告が進路前方の道路を左方より右方に向いノロノロと歩いて横切る様子であるのを認めたので速度を落し警笛も吹鳴して進行したところ、原告は被告の単車の方に向き直つて立ちどまり単車の進行を注視していたので、被告は原告の右側を安全に通り抜けうるものと思い時速一五粁位で進行を続けたが単車が原告の真横を通るとき原告はその身体を少し単車の方へ傾けたため単車は同人とすれすれにその横を通過したものである。
ところが、その直後原告が転倒したような音がしたので、被告は約五メートル位先きで急ぎ停車し振り返つたところ原告が路上に倒れていたので直ぐ引返して抱き起し同人宅に運び込んだものである。
三 同第三項の事実中、被告が現場を行き過ぎてから車を停め引返して原告を抱き起したこと、被告が原告主張の年月日略式命令により罰金四万円に処せられ確定したことならびに右事故時における原告の受傷程度が入院治療五ケ月を要する旨の診断であつたこと等の事実は認めるが、その余の事実は不知もしくは否認する。
略式命令の犯罪事実欄には被告がその運転していた単車を原告に接触させて転倒させたなどと事実に反し被告において承認し難い事実の記載があつたが、正式裁判を請求することは手続上面倒であり、また部落内同志のことであつてなるべく裁判沙汰は避けたいという気持もあつたので正式裁判を見合わせたものであり、被告としては真に右事実を認めていたものではない。
なお、原告が仮りに後遺障害ありとしても、その程度は、保険者(熊本県共済農業協同組合連合会)の査定(七級)を基準とすべきでなく、主治医たる永田医師の診断による判定(一二級)によるべきである。
四 同第四項の事実は認める。
五 同第五項の事実は否認する。
被告としては、その単車が原告に接触し同人を転倒せしめたという事実はなかつたので、その点については認めていなかつたが、相当な責任があることは否定していなかつた(原告主張のごとく事実を頑強に否認しておつたものではない)のであり、また原告としても老衰のため転倒したものとして受傷につき一半の原因はあるものと自認していたので、当時作成されていた警察署長の事故証明書と医師の診断書を基礎にして前項趣旨の示談が成立したものである。
また、原告の老令の点から同人が五ケ月間の入院治療で治癒するものとは当時誰しも考えておらず、むしろ右期間後も引続き治療を必要とするものと予想されていたので、被告も右示談斡旋者に対し、該期間後の治療費についても気持だけ(具体的には実際にかかつた費用の一〇分の四程度)は支払う旨特約しておつたものである。
したがつて、当時被告は右示談書に規定された期間内の入院治療費、附添料の全額および右期間後の治療費実費の一〇分の四の合計額(ただし、自賠責保険金の給付額を差引いた残額)は当然支払う義務があるものとされておつたのであつて、原告主張のごとく該示談がもつぱら原告の損害が五ケ月の入院治療に止まるものとしてこれのみを対象としてなされたものではないから、右期間を超える入院治療等の損害およびその後に発生した後遺症についての損害に対しても右示談の効力は及ぶものというべきである。
なお、慰藉料は右示談に際し被告の支払義務には属せしめないものとして右示談書に記載されなかつたものであり、原告主張のごとく右示談の対象とならなかつたものではない。
六 同第六項の事実は、そのうち(1)(4)(7)(8)についてはその記載金額をいずれも全額認め、(2)(3)(4)は同金額の一〇分の四の限度でこれを認め、(5)(9)(10)はいずれもこれを否認する。
七 同第七項の事実は、そのうち冒頭から(4)の金五〇万円の支払いを受けたとある部分はこれを認める。その余の部分は敢えて争わない。
八 同第八項の事実は、もとよりこれを争う。
旨述べた〔証拠関係略〕
理由
一 被告が原告主張の日時、場所において同主張の単車を運転し進行したこと、その際原告が右路上に転倒し左大腿転子間骨折右下腿及び左肘擦過傷の傷害を受け翌一七日大牟田市永田病院に入院し入院治療五ケ月を要する負傷と診断されたこと、該単車が被告の保有に係るものであること、被告が現場を行き過ぎてから車を停め引返して原告を抱き起したこと、被告が原告主張の年月日略式命令により罰金四万円に処せられ確定したこと、原告主張の年月日に、原告代理人田口七郎と被告との間に、原告主張の訴外者三名の仲裁(斡旋)により示談交渉がなされた結果、原告の五ケ月間の入院治療費及び附添料を被告の負担とし、その他の費用は一切原告の負担とする旨の文言を内容とする和解契約(示談)が成立したこと、原告が前記事故に因り(1)自昭和四二年六月一七日至同年一一月一五日永田病院入院料として金三六万〇、五六六円、(2)同病院診断書料として金九〇〇円、(3)自同年七月二八日至同年一二月一四日永田病院入院間附添看護料として金一〇万五、九二三円、(4)自同年六月一七日至同月二七日同病院入院間原告五男田口七郎妻田中ヤス子の附添看護料相当の出費として金七、七〇〇円を各支出したこと、原告が(1)同年六月二四日頃被告から見舞金として金一万円、(2)同年七月三一日自動車損害賠償保障法(以下自賠法と略称する)による保険金(治療費)として金一〇万円、(3)同四三年一月九日同保険金(治療費)として金四〇万円、(4)同四四年三月一八日同保険金(後遺障害補償費)として金五〇万円の各支払いを受けたこと等の事実については、当事者間に争いがなく、また右原告受領金員中(2)(3)の各自賠責保険金合計五〇万円の内訳は前記永田病院における自昭和四二年六月一七日至同年一一月一五日入院費三六万〇、五六六円、同病院入院中の附添看護料代金八万八、六三八円その他領収証のある諸費用で、通常計上される入院一日につき一、〇〇〇円の割合による慰藉料は右保険金額中に計上される余地がなかつたものであり、なお同年八月一日以降の事故による後遺障害補償費についてはその内訳として慰藉料と得べかりし利益の喪失による損害の両者が表示されることになつたが原告にかかる事故は同年六月一六日であるため右(4)の後遺障害補償費はみぎ内訳の表示がなかつたものであること等の事実については、被告において明らかに争わないのでこれを自白したものと看做す。
二 つぎに、責任原因について、原告は、被告が単車で進路前方の歩行者たる原告の後方より、同人の動静に気を配らず、十分なる間隔も置かず、かつ何らの警告もすることなく進行して来て該単車を原告に接触させ転倒させたものであるから、右事故の発生はもつぱら被告の過失に基因するものである旨主張し、被告はこれに対し、同人がその単車を運転して原告の身体すれすれに通過したことは間違いなく、これが原告転倒の一原因となつたことは認めるが、その余の原告主張の注意義務違反の事実はなく、被告としては原告の動静に注意して進行したことは勿論(むしろ、原告の方が被告単車の接近を知つて進路上に立ち止まり、その進行を注視しておつた)、警笛も吹鳴したし、また離合直前の状態では被告単車は原告の右側を安全に通り抜け得る状態にあつたものであるが、該単車が原告の真横を通過する際同人が右単車の側に身体を少し傾けたため単車は同人とすれすれにその横を通過する恰好になつたものである。なお原告が転倒したのは前記のごとく被告単車の接近通過もあるが、原告が七九才の老令で、かつ当時該道路に砂利が敷いてあつて足場が悪かつたことも原因していると思う旨主張するので按ずるに、当裁判所の検証の結果に、〔証拠略〕を綜合すると、被告が原告主張の日時、場所においてその単車を運転進行中、その進路前方の道路を左側から右側に向い横断しようと歩行していた原告を認めながら、これに対し警音器の吹鳴等によつて警告する措置を講ずることなく時速約一五粁位で接近し同人の右側至近距離を同人の身体とほとんど、すれすれに右同速度で通過進行したこと、このため老令の原告は狼狽し、かつ右通過時の風圧によつて生ずる瞬間的真空圏の中へ身体を巻き込まれるようになり(このことは後記のごとき原告受傷の重かつたことから優に推認し得るところである)、加えて当時右路上にはバラスが敷いてあつて足をとられ易い路面状態にあつたため、被告単車に直接接触されはしなかつたが、右単車が真横を通過すると同時ぐらいに、該路上に強く転倒したものである事実が認められ、〔証拠略〕は、いずれも前顕証拠と対比し措信できない。
およそ、老人就中原告のごとく七九才の高令にあるものは自動車等の進行接近に対する反応動作が鈍く、かつ往々にしてその挙措に迷い不執の行動にも出易いものであるから、かかる年令にある者(原告がかかる高令者であることを被告が十分了知しておつたことは同部落で熟知の間柄であつたてとから一点疑いを容れないところである)に接近して自動車を運転進行する者は、その進行を相手に了知させ待避の十分な時間的余裕を与えるよう、予め警音器吹鳴等警告の措置を講ずることは勿論、でき得るかぎり至近距離の通過進行等は避けるべき業務上の注意義務があるものというべきである。
しかして、前記認定事実によれば、被告はその運転する単車を原告主張のごとく原告の身体に直接接触させて同人を転倒させた事実は認められないが、右業務上の注意義務に懈怠の存した事実は到底否定できないものといわなければならない。
また、その〔証拠略〕によれば該単車は当時被告が自己のため運行の用に供していたものであることが明らかであるから、被告は一面民法上の不法行為者として、他面自賠法第三条所定の運行供用者として右事故に因り原告が被むつた損害を賠償すべき義務がある(人身損害に関する限りは特別法である自賠法上の賠償義務が優先する)ものといわなければならない。
三 ところで、前記和解契約の趣旨について、原告は、右和解は原告代理人田口七郎(原告の五男)と被告本人を当事者として作成された示談書なる書面(甲第二号証)中の「原告の五ケ月間の入院治療費及び附添料は被告の負担とし、その他の費用は一切原告の負担とする」旨の文言どおり、原告の被むつた物的損害の負担区分を定めたものであつて精神的損害は右和解の対象には入つていなかつたものであり、また原告の損害がみぎ五ケ月の入院治療に止まるものとしてこれのみを対象としてなされたものであることが明らかであるから、原告の被告に対する慰藉料請求は何ら右和解契約(示談)によつて妨げられるものでないことは勿論、原告の五ケ月を超える入院治療等の損害およびその後に発生した後遺症(七級)についての損害には右示談の効力は及ばないものである旨主張し、被告は、右和解契約締結(示談成立)当時原告の老令の点から同人が五ケ月間の入院治療で治癒するものとは当時誰しも考えておらず、むしろ右期間後も引続き治療を必要とするものと予想されていたので、原告主張のごとく右和解の対象が同人の五ケ月間の入院治療を内容とする損害に限定されておつたというようなことはなかつたのであり、また慰藉料は被告に負担せしめないものとして右示談書に記載されなかつたものであつて、原告主張のごとく右示談の対象とならなかつたものではないので、被告としては右和解契約(示談)により原告の五ケ月間の入院治療費の支払義務を負担するだけであつて同人のその余の損害(それがありとしても)については賠償義務がないものである(ただ、該示談当時斡旋者が五ケ月で原告が全治するか否か危惧していたので被告は右期間後の治療費についても気持だけはみる――治療費実費の一〇分の四ぐらいは支払う――旨特約しているので、原告のみぎ五ケ月を超える治療費についてはその額が確定次第右割合額を支払う用意がある)旨主張し抗争する。
よつて按ずるに、〔証拠略〕を綜合すると、原告は前記のごとく昭和四二年六月一六日本件事故に因り負傷し翌一七日永田整形外科病院に入院したが、同日の同院長(医師永田恒久)の診断では病名は左大腿転子間骨折右下腿及び左肘擦過傷で、全治までに五ケ月間の治療を要するとのものであつたこと、しかして本件示談はそれからわずか一〇日後の同月二七日に締結されたものである関係上当事者等も原告の受傷の程度についてはもつぱら右診断書による五ケ月程度のものと考え、同人の損害も一応は右治療期間内の入院並びに治療費及び附添料に止まるものとして、その金額を被告の支払義務に属させ、その他の費用は一切原告が負担することとして話を進め、その線で和解が成立したこと、ただ原告代理人の前記田口七郎が原告の老令の点等から、ことによると同人が右診断書記載の治療期間内には全治せず、多少該期間がずれるのではなかろうかと危惧して、その場合の治療費の負担について一抹の不安の念が残ると訴えたので、右示談斡旋者の訴外永松富造ほか二名が間に立つて被告を説得した結果同人もその場合は気持だけはみる旨の意向を表明したので、右田口も不満ながら当面の治療費入手の必要等からこれを諒承し結局和解に至つたものであること、しかし被告は右気持だけはみるということの具体的な趣旨すなわち金額とか割合等については強く言明を避けた(被告は右の気持だけはみるということは、五ケ月を超えてかかつた治療費についてはその実費の概ね一〇分の四ぐらいは同人において支払うという趣旨であつた旨供述しているが、右示談当時にはかかる意思の表示は毫もなかつたものである)ので、前記示談書中には何ら記載されることがなかつたこと等の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
右事実によると、右示談当時当事者は原告の症状は概ね前記診断書記載の五ケ月で治癒すること、仮りに多少ずれても全治するものと考え原告の損害も一応前記入院治療費および附添料の支出に止まるものとしてその負担をきめたものであるから、同人の右症状がみぎ五ケ月ないしそれより多少ずれた期間内で治癒しないだけでなく、相当頑固な後遺症状として残るかも知れないというようなことは全く予想しておらず、したがつてかかる場合に必要となるかも知れない治療費や右後遺症によつて受けるかも知れない精神的苦痛に対する損害についてまで当事者が該示談書中の五ケ月の期間内の入院治療費および附添料以外の費用に入るものとして原告負担とする旨の意思であつたとは到底解し得られないものといわざるを得ない。
けだし、このように受傷後時日で、症状の将来的展望もできておらず、したがつて損害も当面判明している現症の治療回復の限度においてしか把握し難い状況のもとにおいて、早急に比較的寡額の賠償をもつて満足する旨の示談がなされた場合においては示談によつて被害者が放棄した損害賠償請求権は、示談当時予想していた損害についてのもののみと解すべきであつて、その当時予想できなかつた不測の支出や後遺症がその後発生した場合その損害についてまで、賠償請求権を放棄した趣旨と解するのは、当事者の合理的意思に合致するものとはいえないからである(昭和四三・三・一五最高二小廷判、最判集二二巻三号五八七頁参照)。
四 しかるところ、〔証拠略〕を綜合すると、原告の症状は前記永田病院における初診時の見込みに反し意外と重く、当初予定の五ケ月間の入院治療で治癒しなかつたことは勿論(原告は入院一八一日で退院しているが、右退院は同人が一向に症状好転の兆がなかつたため強いて希望して退院したものである)、事故後一年六月余を経過した同四三年一二月二四日現在で自賠法施行令別表第九級相当の頑固な後遺症状(杖を使用して跛行できる程度の左股関節の運動障害および疼痛)を残し、全治の見込みはなく(甲第一七号証――保険者たる熊本県共済農業協同組合連合会の「自動車損害賠償責任共済査定額通知書」――並びに乙第七号証――同連合会の「自賠責共済損害査定報告書」――によると、右後遺症状は第七級相当とされており、また甲第一四号証――永田恒久医師作成の「昭和四三年二月一〇日付証明書」――によると同後遺症は一二級相当とされているが、前二者は査定の基礎となつた診断書が明らかでなく、また後者は作成者が初診に際し全治の見込みを立てた医師であり、かつ開業医である関係から右当初の見込みにこだわりやや楽観的過ぎる観察に偏しているきらいがあり、いずれも適正でなく、中立性の担保がある公立病院専門医の「同年一二月二四日付作成に係る甲第六号証」をもつて最も信憑性のあるものとなさざるを得ない)、このため原告は相当の精神的打撃を受けており、なお右九級の後遺症状固定時までにも前記予定治療期間を超え、入院一ケ月通院六ケ月余の治療を要し、その費用として約金一三万五、〇四一円を支出していること等の事実が認められる。
してみると、右精神的損害および同治療関係費用は、前記示談当時においては当事者が予想しなかつた損害として右示談の効力は及ばないものと解するのが相当であり、かつ前記事故との間に相当因果関係を存するかぎり被告は原告に対し、これが賠償の義務を免がれ得ないものといわなければならない。
五 当事者間に争いのない冒頭の事実によると、原告は右事故に因り
(1) 自昭和四二年六月一七日至同年一一月一五日間の永田病院入院料として金三六万〇、五六六円
(2) 同病院診断書料として金九〇〇円
(3) 自同年七月二八日至同年一二月一四日間同病院入院間附添看護料として金一〇万五、九二三円
(4) 自同年六月一七日至同月二七日同病院入院間原告五男田口七郎妻田口ヤス子の附添看護料相当の出費として金七、七〇〇円以上計金四七万五、〇八九円
を支出し、また〔証拠略〕によると
(5) 自同年一一月一六日至同年一二月一四日永田病院入院料並びに自同年一二月一五日至同四三年二月一〇日同病院通院処置料として金九万九、二八八円
(6) 自同四三年二月一一日至同月二一日同病院診療費(診断書料を含む)として金一万一、八四〇円
(7) 菊水町立病院同四三年一二月処置料(診断書料を含む)として金二、四三〇円
以上計金一一万六、四五八円
を支出し、合計金五八万八、六四七円の支出となつていることが認められ、右認定に反する証拠はない。
原告は、このほか谷崎医院にも処置料として金二、九〇〇円を支払つている旨主張し、同病院に原告から右金額の支払いがある事実は認められるが、同金額が原告において本件事故により受けた傷害の診察治療のため支払つたものであるか否か(因みに同医院が内科、小児科専門で、原則として、外科、整形外科等の患者は診療しないものであることが〔証拠略〕からも認め得るところであるから同医院の診療が原告の受傷治癒に寄与しうるものであるか否かについても疑問がある)について立証が十分でないので、同病院支払いの右金額は本件事故に因る損害と認めることはできない。
六 弁護士費用について
原告は、弁護士費用六万円も本件事故に因り原告が被むつた損害として、被告に対しその支払いを請求する。
およそ、交通事故の被害者が加害者(不法行為者)から任意に賠償を受けられないときは、通常法律専門家たる弁護士に訴訟委任してその権利の実現をはかるほかないのであり、これに要する弁護士費用も事案の難易、請求額、訴訟活動等諸般の事情を斟酌して相当と認められる範囲の額は事故と相当因果関係に立つ損害と解すべきところ、本件は原告がその損害の賠償方につき種々折衝し調停の申立もなしたが不調に終つたため本訴を提起するに至つたものであり、事案の内容も責任原因の有無態様や和解契約の成否等について困難な問題点を含んでおり、その訴訟の提起遂行には法律専門家の知識を必須とするものであつたこと、その他本件における原告訴訟代理人の訴訟活動の実情等を斟酌すると、原告主張の右弁護士費用は最低基準のものというべく、したがつて該費用は本件事故に因り生じた損害として被告にその賠償の義務が存するものといわなければならない。
七 精神的苦痛による損害(慰藉料)について
前叙のごとき原告の入・通院期間を含む症状の経過ならびに後遺症の部位程度(第九級相当)、これに対する被告の態度、原告の高令による回復の遅滞性その他諸般の事情を綜合斟酌するときは、原告の精神的苦痛は金八〇万円をもつて慰藉されるものと考える。
原告は、東京地裁民事交通部設定の慰藉料算定基準に照らし本件の場合の慰藉料額は金一〇〇万円をもつて相当とする旨主張し強調するが、同基準の準用によるも、本件の場合は入院一八一日(これに対応する基準慰藉料額約五一万円)、通院一九〇日(同慰藉料額約一一万五、〇〇〇円)、後遺障害九級(同慰藉料額七八万円)計約一四〇万五、〇〇〇円となるところ、右基準は昭和四四年一一月一日以後発生の事故に限り適用されるものであつて右基準発効時より二年五ケ月前の事故にかかる本件の場合に右基準額をそのまま準用することは相当でなく、その間における物価就中自賠保険金額の変動率(因みに本件事故発生時に接着する昭和四二年八月一日当時における後遺障害保険金額を同四四年一一月一日現在における同保険金額と比較すると、前者は下限額において後者のそれの約五七%、上限額において同約六〇%、平均約五八%に相当することが認められる――このことは当裁判所に顕著な事実である)を斟酌することを必要とするところ、右変動率(五八%の縮減率)により前記基準慰藉料額を修正すると、本件の場合には約八一万円余(140万円×0.58=81万円)となり、前記和解の事情等も考慮するときは、原告主張の算定方式によるも本件慰藉料額は金八〇万円をもつて相当とするものというべきである。
八 ところで、原告が
(1) 昭和四二年六月二四日頃被告から見舞金として金一万円
(2) 同年七月三一日自賠責保険金(治療費)として金一〇万円
(3) 同四三年一月九日同保険金(治療費)として金四〇万円
(4) 同四四年三月一八日同保険金(後遺障害補償費)として金五〇万円
の支払いを受けていることについては、前記のごとく当事者間に争いがない。
九 しかして、原告が前項(第八項)で受けた金員(合計金一〇一万円)を第五項((1)乃至(7))ないし第七項掲記の各損害(合計金一四四万八、六四七円)に順次充当して控除し残余の金額について被告に対し、これが支払を求めていることはその主張自体明らかであるところ、右弁済充当後の残額が金四三万八、六四七円となる(144万8,647円-101万円=43万8,647円)ことは、その計数上明白である。
一〇 よつて、原告の被告に対する本訴請求中、金四三万八、六四七円およびこれに対する本訴状が被告に送達された翌日であることが記録上明らかである昭和四二年一二月一六日以降右完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一、四項をそれぞれ適用のうえ、主文のとおり判決する。
(裁判官 石川晴雄)